退職者

ホラー

会社を辞めたあとも、
社員番号やメールアドレス、社内システムのアカウントなど、
その人が働いていた記録は、しばらく残ることがあります。

やがて必要な手続きが終われば、
それらも削除されていきます。

今回ノクヴェルに届いたのは、
都内のIT企業で社内システムの管理を担当していた、34歳の男性からの記録です。

彼の仕事の一つに、退職者のアカウント削除がありました。

メール。

社内チャット。

勤怠管理。

ファイル共有。

一人の社員が会社を去るたび、
その人に紐づいた権限を停止していく。
いつもの作業だったといいます。

ただ、一つだけ。

何度削除しても、

翌朝になると復活するアカウントがありました。

そして数日後。

削除対象者の一覧に、

まだ退職していない彼自身の名前が追加されました。

以下は、本人から送られてきた記録です。

ノクヴェル・アーカイブ ― File.009 ―

私は都内のIT企業で、

社内システムの管理を担当していた。

社員は200人ほど。

大きな会社ではない。

私は社員用アカウントの発行や、

パスワードの初期化、

アクセス権限の変更などを担当していた。

退職者が出れば、

最終出社日の翌日にアカウントを停止する。

それも私の仕事だった。

問題が起きたのは、

7月の月曜日だった。

その日、

一人の社員の退職処理をした。

営業部に所属していた、

山岸という男性。

私は山岸さんとほとんど話したことがない。

顔を知っている程度だった。

前の週の金曜日が、

彼の最終出社日だった。

午前10時12分。

管理画面を開いた。

社員番号。

氏名。

所属部署。

間違いないことを確認する。

そして、

「アカウント削除」

を押した。

確認画面が表示された。

このユーザーを削除しますか?

「はい」を押す。

数秒後。

山岸さんの名前が、

社員一覧から消えた。

いつもの作業だった。

翌朝。

火曜日。

午前9時18分。

出社してパソコンを起動した。

管理画面を確認して、

私は手を止めた。

社員一覧に、

山岸さんの名前があった。

一瞬、

昨日の処理を忘れたのかと思った。

アカウントを開く。

状態。

有効

おかしい。

操作履歴を確認した。

昨日の午前10時12分。

確かに私が削除している。

その下。

見覚えのない履歴が一件あった。

03:17 アカウント作成

私は時刻を見直した。

午前3時17分。

その時間、

会社には誰もいない。

少なくとも、

私は自宅で寝ていた。

作成者の欄を見る。

そこには、

SYSTEM

と表示されていた。

システムの不具合だと思った。

私はもう一度、

山岸さんのアカウントを削除した。

水曜日。

午前9時6分。

山岸さんのアカウントは、

また復活していた。

作成時刻。

03:17

今度は、

作成者がSYSTEMではなかった。

私の社員番号だった。

私は昨日、

18時半には退社している。

午前3時17分に会社のシステムなど触っていない。

アクセスログを調べた。

接続元。

社内ネットワーク

使用端末。

そこに表示されていた端末番号を見て、

背中が冷たくなった。

私のデスクにあるパソコンだった。

私は上司に相談した。

「夜中に自分のPCから操作されたログがあります」

上司は、

不正アクセスを疑った。

私と上司で、

防犯カメラを確認した。

社内には数台のカメラがある。

私の席が直接映るカメラもあった。

午前3時10分。

誰もいないオフィス。

照明は消えている。

午前3時15分。

変化なし。

午前3時16分。

変化なし。

そして、

午前3時17分。

私のデスクにあるモニターが、

突然点灯した。

誰も座っていない。

マウスも動いていない。

ただ、

モニターだけが光っている。

約40秒後。

画面が消えた。

その間、

誰もオフィスには入っていなかった。

上司も、

何も言わなかった。

その日の午後。

私は山岸さんについて人事部へ確認した。

「山岸さんって、普通に退職したんですよね?」

担当者は、

少し考えた。

「山岸?」

「営業部の山岸さんです」

人事担当者は、

社員検索をした。

「そんな人いた?」

私は冗談だと思った。

「先週までいましたよ」

「営業部ですよ」

人事担当者は首を傾げた。

「社員番号分かる?」

覚えていた番号を伝えた。

検索。

結果は、

0件。

「番号間違ってない?」

間違えていない。

私は自分のPCへ戻った。

管理画面を開く。

そこには、

山岸さんがいる。

社員番号。

氏名。

営業部。

状態は、

有効。

私は画面をスクリーンショットで保存した。

その直後だった。

社内チャットの通知音が鳴った。

送信者。

山岸

メッセージは、

一行だけだった。

削除ありがとうございました。

私は返信しなかった。

山岸さんのアカウントを、

もう削除する気にはなれなかった。

その日は、

19時前に退社した。

自宅へ帰り、

夕食を食べた。

23時頃にはベッドに入った。

午前3時17分。

スマートフォンの通知音で、

目が覚めた。

会社のメールだった。

件名。

アカウント削除完了通知

私はベッドの上でメールを開いた。

本文には、

こう書かれていた。

1件のユーザーを削除しました。

対象者。

山岸

私は何も操作していない。

その直後、

社内チャットにも通知が来た。

山岸さんからだった。

あと一人です。

それだけだった。

翌朝。

木曜日。

私は8時47分に出社した。

自分のPCを起動し、

管理画面を開いた。

山岸さんのアカウントは、

また復活していた。

作成時刻。

03:17

そして、

画面上部に、

今まで見たことのない項目が追加されていた。

削除予定

数字は、

1

クリックした。

一人の社員が表示された。

社員番号。

見覚えがある。

毎日入力している番号だから、

間違えるはずがない。

私の社員番号だった。

氏名。

私の名前。

所属。

情報システム部。

状態。

削除待ち

私は画面をスクロールした。

削除予定日時。

本日 03:17

おかしい。

現在時刻は、

午前8時51分。

予定時刻は、

すでに過ぎている。

その下に、

もう一つ項目があった。

処理状態:保留

理由。

本人が社内に存在するため

私はしばらく、

その文章を見ていた。

すぐに上司を呼んだ。

「これ見てください」

管理画面を指した。

上司は画面を見る。

「何?」

「削除予定です」

「どこ?」

私は画面を見た。

そこにはもう、

削除予定という項目自体がなかった。

「さっきまであったんです」

上司は黙っていた。

私は昨日保存した、

山岸さんのスクリーンショットを開いた。

ファイルは残っていた。

開く。

管理画面の画像。

社員番号。

所属。

状態。

全部映っている。

ただ、

氏名の欄だけが空白になっていた。

その日の午後。

別の異常が起きた。

社員証を使って、

サーバールームへ入ろうとした。

カードリーダーに社員証をかざす。

赤いランプ。

認証できません

もう一度。

同じ。

管理画面で、

自分の社員情報を確認した。

まだ登録されている。

状態も有効。

社員証の故障だと思った。

夕方。

勤怠システムを開いた。

ログインできなかった。

ユーザーが存在しません

メールは使えた。

社内チャットも使えた。

だが、

一つずつ、

私の権限が消えていた。

18時24分。

人事部からメールが届いた。

件名は、

退職手続きについて

本文には、

退職時に必要な手続きが書かれていた。

社員証の返却。

PCの返却。

健康保険証に関する案内。

私は人事へ電話した。

「このメール、間違ってませんか?」

担当者は確認すると言った。

しばらくして、

「すみません。システム上、退職予定になっています」

と言った。

「退職予定?」

「はい」

「退職届なんて出してません」

「少々お待ちください」

キーボードを操作する音。

「……出てますね」

「何がですか?」

「退職申請」

私は立ち上がった。

「誰が申請したんですか?」

担当者は答えた。

「本人申請になっています」

申請時刻。

聞かなくても分かった。

午前3時17分。

私はその日のうちに、

退職申請を取り消してもらった。

人事担当者にも、

上司にも、

明らかなシステム障害だと説明した。

自分にも、

そう言い聞かせた。

20時前。

会社を出た。

翌日は有給を取った。

午前3時17分には、

絶対に会社へ行かない。

PCにも触らない。

スマートフォンの電源も切った。

自宅で、

時計だけを見ていた。

3時16分。

何も起こらない。

3時17分。

何も起こらない。

3時18分。

私は安心した。

そのまま眠った。

朝。

8時過ぎ。

スマートフォンの電源を入れた。

通知が大量に届いた。

会社からではない。

個人メール。

銀行。

ニュース。

普通の通知ばかりだった。

会社のメールだけ、

一件もない。

嫌な予感がした。

会社のメールアプリを開く。

ログイン画面が表示された。

IDを入力。

パスワードを入力。

アカウントが存在しません

社内チャットも同じだった。

私は会社へ電話した。

代表番号。

受付の女性が出た。

自分の名前を伝えて、

上司につないでほしいと言った。

少し待たされた。

「恐れ入りますが」

受付の女性が言った。

「弊社の方でしょうか?」

「情報システム部です」

「社員番号をお願いできますか?」

番号を伝えた。

しばらく沈黙。

「登録が確認できません」

私は電話を切った。

会社へ向かった。

10時11分。

正面入口。

社員証をかざす。

赤いランプ。

登録されていない社員です

受付へ行った。

昨日まで毎朝挨拶していた女性がいた。

私を見ても、

何の反応もない。

「おはようございます」

声をかけた。

女性は、

丁寧に頭を下げた。

「お約束はございますか?」

私は何も言えなかった。

上司へ電話した。

個人の携帯番号は知っていた。

電話はつながった。

「もしもし」

「私です」

「……はい?」

名前を言った。

数秒、

沈黙した。

「すみません」

上司が言った。

「どちら様ですか?」

私は会社近くの喫茶店に入った。

ノートPCを開いた。

会社の公式サイト。

社員紹介。

以前、

情報システム部のページに、

私の写真が掲載されていた。

消えていた。

昔の社内イベントで撮った写真を、

個人のクラウドから探した。

私は写っている。

だが、

おかしい。

集合写真。

私が立っていた場所だけ、

人一人分の隙間が空いている。

別の写真。

同じ。

私がいたはずの場所には、

何もない。

その日の夕方。

人事部へ、

一般の問い合わせ窓口から連絡した。

事情は説明しなかった。

自分の名前を伝えて、

過去に在籍していた記録があるか確認した。

しばらく待った。

返ってきた答えは、

「在籍記録はありません」

だった。

私は最後に、

山岸さんの名前を聞いた。

担当者は、

「少々お待ちください」

と言った。

約一分後。

「過去に在籍していた社員ですね」

私は息を止めた。

「いつ退職しました?」

日付を聞いた。

私が最初に、

山岸さんのアカウントを削除した日だった。

月曜日。

退職理由。

本人希望。

その夜。

自宅で、

もう一度会社の管理画面へアクセスした。

当然、

ログインできないと思っていた。

だが、

なぜか開いた。

社員一覧は見られなかった。

表示されていたのは、

一つの画面だけ。

退職者一覧

山岸さんの名前があった。

退職日。

月曜日。

その下。

もう一人。

私の名前。

退職日。

今日。

退職理由。

本人希望

さらに右側に、

見たことのない項目があった。

引継先

山岸さんの欄。

私の名前。

私の欄。

山岸

意味が分からなかった。

そのとき、

社内チャットの小さなウィンドウが、

画面右下に表示された。

送信者は、

山岸。

メッセージ。

お疲れさまでした。

続けて、

もう一件。

引継ぎは完了しました。

私はノートPCを閉じた。

これを書いている現在、

会社とは連絡が取れていない。

正確には、

連絡することはできる。

ただ、

誰も私を知らない。

家族や学生時代の友人は、

私を覚えている。

だから、

私自身が消えたわけではない。

少なくとも、

今は。

ただ、

一つ気になることがある。

さっき、

母から電話があった。

「会社、辞めたの?」

私は、

まだ母には何も話していない。

「どうして?」

と聞いた。

母は、

こう答えた。

「昨日、あなたから電話があったでしょう」

電話などしていない。

「何て言ってた?」

母は少し黙った。

そして、

「仕事を辞めたから、しばらく家に帰るって」

と言った。

私は今、

自宅にいる。

実家には帰っていない。

母に、

「今、家に誰かいる?」

と聞いた。

返事がなかった。

代わりに、

電話の向こうから、

男の声が聞こえた。

遠くからだった。

でも、

聞き間違えるはずがない。

私の声だった。

「母さん」

電話の向こうの私は、

そう呼んだ。

そして母が、

私との通話を切る直前。

こう言った。

「ごめん、本人が帰ってきたから。またあとでね」

通話が切れた。

その直後。

私のノートPCから、

通知音が鳴った。

閉じたはずの画面が、

勝手に開いていた。

退職者一覧。

私の名前の横に、

さっきまではなかった表示が追加されている。

引継ぎ完了

その下に、

もう一行。

旧アカウントは削除できます。

そして今、

画面の中央に、

確認画面が表示されている。

このユーザーを削除しますか?

対象者は、

私の名前。

ボタンは二つ。

「はい」

「いいえ」

私は、

どちらも押していない。

なのに、

さっきから少しずつ、

「はい」のボタンだけが、

押し込まれていっています。

ノクヴェル保管記録

この記録がノクヴェルへ届いたのは、

午前3時16分でした。

投稿者からのメールには、

本文と3枚の画像が添付されていました。

1枚目。

社員管理システムの画面。

退職者一覧には、

二人の氏名が確認できます。

一人は、

本文に登場する山岸という男性。

もう一人は、

投稿者本人です。

2枚目。

投稿者の社員証。

会社名。

社員番号。

顔写真。

すべて確認できます。

ただし、

氏名欄だけが空白でした。

3枚目。

会社の集合写真。

投稿者によれば、

中央付近に本人が写っていたそうです。

しかし、

該当する位置には、

不自然なほど大きな隙間があります。

私たちは、

投稿者へ確認のメールを送りました。

送信できませんでした。

エラーには、

こう表示されていました。

「指定されたユーザーは存在しません」

翌朝。

保存していた投稿者のメールを、

もう一度開きました。

送信者欄が、

空白になっていました。

本文と添付ファイルは、

残っています。

現在も、

投稿者本人とは連絡が取れていません。

なお、

この記録をFile.009として登録する際、

ノクヴェルの管理画面に、

見覚えのない通知が表示されました。

退職者データの削除が完了しました。

その直後、

もう一件。

次の削除対象を確認してください。

通知を開くと、

ユーザー名が一つだけ表示されていました。

それは、

この記録を登録していた、

ノクヴェル管理者のアカウント名でした。

削除予定時刻は、

03:17。

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