終電で眠ってしまったことはありますか。
目を覚ませば、乗客のいない車内。
駅員に起こされ、慌ててホームへ降りる。
少し恥ずかしいだけの、よくある話です。
では――
あなたが電車を降りたあとも、あなたと同じ姿をした人物が、車内に座ったままだったら?
今回ノクヴェルに保管するのは、終電で終点まで乗り過ごした、ある男性から寄せられた記録です。
投稿者は、都内のIT企業でシステムエンジニアとして働く28歳の男性。
仕事柄、帰宅が深夜になることも多く、終電を利用するのは珍しいことではなかったといいます。
疲れて車内で眠り、終点で駅員に起こされた経験も何度かありました。
だから、その夜も。
最初は「いつものこと」だと思っていたそうです。
ただ一つ違ったのは――
彼が電車を降りたあとも、彼と同じ姿をした人物が、車内の座席に残っていたこと。
以下は、本人から送られてきた記録です。
ノクヴェル・アーカイブ ― File.006 ―
あの日は、仕事が長引いていた。
システム障害の対応が終わらず、会社を出たのは23時を過ぎてからだった。
駅前のコンビニで水を買い、いつもの駅から終電に乗った。
乗客は少なかった。
同じ車両にいたのは、私を含めて5人ほど。
私はドア横の座席に座った。
自宅の最寄り駅までは約40分。
スマートフォンでニュースを読んでいたところまでは覚えている。
そのあとの記憶はない。
眠ってしまったらしい。
肩を叩かれて目が覚めた。
「お客さま、終点ですよ」
駅員が立っていた。

私は慌てて身体を起こした。
車内を見る。
誰もいない。
窓の外には、見慣れない駅名が表示されていた。
乗り過ごしていた。
「すみません」
駅員に頭を下げ、電車を降りた。
時刻は0時37分。
ホームには私と駅員しかいなかった。
階段へ向かおうとしたとき、
背後でドアが閉まった。
その直後だった。
ホームの電光掲示板が目に入った。
普段は発車時刻などが表示されている場所に、
見慣れない文字が出ていた。
車内確認中
その下に、
残り1名
と表示されている。
私は立ち止まった。
さっき車内を見た。
誰もいなかった。
駅員も表示に気づいたらしく、閉まったばかりのドアを開けた。
「おかしいな」
そう呟いて、車内へ入っていった。
私はホームから様子を見ていた。
駅員は先頭車両から最後尾まで、一両ずつ確認していった。
数分後。
駅員が戻ってきた。
「誰もいませんね」
駅員がホーム上の操作盤を触った。
表示が変わった。
残り0名
「たまにセンサーがおかしくなるんですよ」
駅員はそう言って笑った。
私も愛想笑いを返した。
疲れていた。
早く帰りたかった。
改札へ向かうため、階段を上った。
その途中。
ホームから電子音が聞こえた。
何となく振り返った。
電光掲示板。
表示が変わっていた。
車内確認中
そして、
残り1名
まただ。
駅員も気づいた。
今度は笑わなかった。
もう一度、電車のドアを開ける。
車内を確認する。
誰もいない。
それでも表示は消えなかった。
私は気味が悪くなり、そのまま改札へ向かおうとした。
「お客さん」
駅員に呼び止められた。
振り返る。
駅員は私ではなく、
電車の中を見ていた。
「さっき……」
そこで言葉を止めた。
「何ですか?」
「いえ」
駅員は首を振った。
「なんでもありません」
だが、その顔からは笑みが消えていた。
終電は終わっている。
自宅まで帰るには、タクシーを使うしかなかった。
改札前で配車アプリを開いていると、
先ほどの駅員が走ってきた。
「すみません」
息を切らしている。
「ちょっと、確認してもらえますか」
案内されたのは駅員室だった。
中には別の駅員が2人いた。
机の上のモニターに、
ホームの防犯カメラ映像が表示されている。
「これです」
映像は、
私が終点へ到着したときのものだった。
時刻は0時37分。
電車のドアが開く。
駅員が車内へ入り、
眠っている私の肩を叩く。
私は立ち上がる。
ホームへ降りる。
ここまでは覚えている通りだった。
「このあとです」
映像が進む。
私が階段へ向かう。
駅員が車内確認を始める。
誰もいない座席。
誰もいない通路。
そして、
私が眠っていた車両が映った。
駅員が映像を止めた。
「ここ、見てください」
私が座っていた席。
そこに、
人が座っていた。
俯いている。
黒いジャケット。
紺色のパンツ。
黒い革靴。
その夜の私と、
まったく同じ服装だった。
「これ……」
声が出なかった。
駅員が映像を拡大した。
顔は俯いていて確認できない。
だが、
膝の上に置かれた鞄には見覚えがあった。
私の鞄だった。
表面についた傷の位置まで同じだった。
私は自分の足元を見た。
同じ鞄を持っている。
「でも……」
私はモニターを指した。
画面の端には、
ホームを歩く私自身も映っている。
そして車内には、
私と同じ服装をし、
私と同じ鞄を持った人物が座っている。
同じ映像の中に、
私と同じ姿をした人間が2人いた。
駅員が再生を続けた。
車内に残った人物は、
ずっと俯いていた。
駅員がすぐ横を通っても動かない。

防犯カメラにははっきり映っているのに、
車内確認をした駅員には見えていなかった。
やがて確認が終わる。
駅員が車外へ出る。
ドアが閉まる。
その瞬間。
座っていた人物が、
顔を上げた。
映像が荒く、
顔立ちまでは確認できない。
だが、
顔を向けた先だけは分かった。
防犯カメラだった。
数秒間、
まっすぐカメラを見ている。
そして、
口が動いた。
駅員が映像を巻き戻した。
もう一度。
口が動く。
「何て言ってるんでしょう」
駅員の一人が言った。
私は答えられなかった。
音声のない映像だ。
本来なら、
何を言っているか分かるはずがない。
それでも、
なぜか私には分かった。
あの人物は、
こう言っていた。
「まだ乗っています」
その日はタクシーで帰宅した。
玄関の鍵を閉め、
シャワーを浴びた。
午前2時を過ぎていた。
眠れるはずがなかった。
ベッドに横になり、
スマートフォンを見ていた。
駅員からは、
「防犯カメラの映像についてはこちらで確認します」
と言われていた。
映像の乱れ。
機器の不具合。
そういう結論になってほしかった。
午前2時26分。
スマートフォンが震えた。
通知だった。
鉄道会社の公式アプリ。
私は普段から遅延情報を見るために利用している。
だが、
表示された内容は見たことがなかった。
乗車を継続しています
意味が分からなかった。
アプリを開く。
乗車駅。
23時48分。
降車駅の欄には、
――
何も表示されていない。
その下に、
乗車状態が表示されていた。
現在も乗車中
私はアプリを終了した。
もう一度開く。
変わらない。
さらに、
利用中の列車の現在地として、
あの終点駅が表示されていた。
私は自宅にいる。
終点駅から自宅までは、
タクシーで30分以上かかった。
スマートフォン本体の位置情報を確認した。
現在地は、
間違いなく自宅だった。
鉄道アプリだけが、
私をまだ電車に乗っていることにしていた。
翌朝。
ほとんど眠れないまま会社へ向かった。
電車に乗るのが嫌だった。
だが、
毎日タクシーで通勤できる距離ではない。
ホームには大勢の人がいた。
朝の通勤時間。
昨夜の出来事が馬鹿らしく思えるほど、
いつもの光景だった。
電車が来た。
私は乗った。
昨夜とは別の路線だった。
立ったまま行こうと思った。
だが、
次の駅で目の前の席が空いた。
ほとんど眠っていなかった私は、
その席に座った。
電車が走り出す。
ふと、
向かい側の窓に自分の姿が映った。
疲れた顔。
乱れた髪。
そのとき。
隣に座っていた女性が、
突然立ち上がった。
少し離れた場所へ移動した。
何だろうと思った。
次の駅。
今度は、
私の前に立っていた男性が場所を変えた。
その次の駅でも。
気づけば、
混雑している車内で、
私の周囲だけに不自然な空間ができていた。
私は窓を見た。
そこに理由があった。
窓には私が映っている。
そして、
私の隣にも、
もう一人の私が座っていた。
昨夜と同じ服装。
黒いジャケット。
紺色のパンツ。
黒い革靴。
俯いている。
私は隣の座席を見た。
誰もいない。
窓を見る。
いる。
昨夜の防犯カメラに映っていた人物だった。
その人物が、
ゆっくり顔を上げた。
窓越しに、
私と目が合った。
顔は、
私だった。
その瞬間。
スマートフォンが震えた。
鉄道アプリからの通知。
まもなく目的地です
私は目的地を設定していない。
画面を開いた。
目的地の欄には、
駅名ではなく、
二文字だけ表示されていた。
交代
電車が減速する。
次の駅へ入っていく。
ドアが開いた。
私は反射的に立ち上がった。
ここで降りなければならない。
そう思った。
理由は分からない。
私はホームへ出た。
ドアが閉まる。
電車が走り出す。
窓の向こう。
私が座っていた席に、
誰かがいる。
私と同じ顔をした人物だった。
今度は俯いていない。
こちらを見ている。
そして、
笑っていた。
私はその日、会社を休んだ。
電車には乗らず、
タクシーで自宅へ戻った。
鉄道アプリは削除した。
会社にも事情を話し、
しばらく在宅勤務に切り替えてもらった。
あれから約3週間。
電車には一度も乗っていない。
同じ姿をした人物を見ることもなくなった。
だから、
この記録を送ることにした。
ただ、
一つだけ気になることがある。
今朝、
スマートフォンの写真を整理していた。
撮った覚えのない写真が一枚あった。
撮影日時は、
昨夜の0時37分。
写真には、
電車の車内が写っている。

乗客はいない。
一番奥の座席に、
男が一人だけ座っている。
私だった。
黒いジャケット。
紺色のパンツ。
黒い革靴。
俯いたまま座っている。
撮影場所として記録されていた位置情報は、
あの終点駅。
昨夜、
私は一度も家を出ていない。
写真を拡大した。
座っている私の右手に、
スマートフォンが握られている。
その画面には、
一行だけ文字が表示されていた。
「まだ乗っています」
ノクヴェル保管記録
この記録がノクヴェルへ届いたのは、
最初の体験から23日後でした。
投稿者本人の希望により、
勤務先・利用路線・駅名については非公開としています。
記録を受領した翌日、
内容について確認したい点があり、
投稿者へ返信しました。
返事はありませんでした。
3日後。
もう一度メールを送りました。
やはり返信はありませんでした。
その後、
最初のメールに添付されていた画像を確認していた際、
こちらでは説明できない点が一つ見つかりました。
投稿者が最後に記していた、
終点駅の車内写真です。
本人は、
「一番奥の座席に自分が一人だけ写っていた」
と書いています。
しかし、
ノクヴェルに届いた画像には、
その人物とは別に、
もう一人写っています。
車両の一番手前。
写真を撮影した人物のすぐ隣です。
全身は写っていません。
確認できるのは、
右腕と手だけです。
その人物は、
スマートフォンを持っています。
画面には、
鉄道アプリが表示されています。
画像を拡大すると、
表示された文字を確認することができました。
乗車人数:2名
降車人数:1名
その下には、
こう表示されています。
「まだ乗っています」
この記録を最後に、
投稿者からの連絡はありません。

