内見できます

ホラー

部屋を借りる前に、内見をしたことはありますか。

玄関を開ける。
キッチンを見る。
窓を開ける。
収納を確認する。

そして、最後に部屋全体を見渡す。

不動産会社の担当者にとっては、何度も繰り返してきた日常の仕事です。

では――

案内している客に、自分には見えない「もう一つの部屋」が見えていたら?

今回ノクヴェルに保管するのは、不動産会社で賃貸物件の案内を担当していた男性から寄せられた記録です。

投稿者は31歳。

不動産会社に勤務して8年目で、これまで数百件の物件を案内してきたといいます。
空室に一人で入ることにも慣れていました。
だからこそ彼は断言しています。

あの部屋には、本来――

ドアは一つしかなかった。
以下は、本人から送られてきた記録です。

ノクヴェル・アーカイブ ― File.007 ―

私は不動産会社で働いている。

主な仕事は賃貸物件の紹介と内見案内。

この仕事を始めて8年になる。

問題の物件を案内したのは、6月の土曜日だった。

築11年。

駅から徒歩9分。

3階建てマンションの2階。

間取りは1K。

玄関を入ると短い廊下があり、右側に浴室とトイレ。

その先にキッチン。

廊下の突き当たりにドアが一枚あり、開けると約8畳の洋室。

それだけだ。

その日は、20代くらいの夫婦を案内していた。

「思ってたより広いですね」

夫が窓際で言った。

妻も、

「収納も結構ありますね」

と話していた。

反応は悪くなかった。

私は窓の方角やエアコンの位置などを説明した。

15分ほど経ったころ。

「では、そろそろ戻りましょうか」

私がそう言うと、

妻が首を傾げた。

「もう一つの部屋は見なくていいんですか?」

最初は聞き間違いだと思った。

「もう一つ?」

「はい」

妻が部屋の奥を指した。

「そこです」

指の先には、

白い壁しかなかった。

「こちらは1Kなので、お部屋はここだけですよ」

私は笑って答えた。

妻は黙った。

その横で、

夫も壁を見ていた。

「え?」

夫が言った。

「でも、ドアありますよね?」

今度は私が黙った。

二人とも同じ場所を見ている。

私は壁へ近づいた。

白いクロス。

コンセント。

何もない。

「どの辺りですか?」

そう聞くと、

妻が壁の前まで歩いてきた。

そして、

何もない場所へ手を伸ばした。

「これです」

妻の指先は、

壁から数センチ離れたところで止まっている。

まるで、

そこにドアノブがあるかのように。

「開けてもいいですか?」

私は反射的に、

「待ってください」

と言った。

妻が手を止めた。

なぜ止めたのか、

自分でも分からなかった。

私には壁しか見えていない。

開けられるはずがない。

それなのに、

開けてはいけないと思った。

結局、その夫婦は契約しなかった。

帰りの車内で、

妻が何度も同じことを聞いてきた。

「あの部屋って、何に使うんですか?」

私は、

「部屋は一つだけです」

と繰り返した。

すると夫が言った。

「じゃあ、あそこにいた人は?」

私はブレーキを踏みそうになった。

「人?」

「ドアの隙間から見てましたよね」

妻も頷いた。

「男の人です」

私は前を向いたまま聞いた。

「どんな人でした?」

少し間があった。

妻が答えた。

「顔までは見えませんでした」

そして、

「でも、スーツを着てました」

と言った。

その日、

私は紺色のスーツを着ていた。

会社へ戻った。

すぐに物件資料を確認した。

間取りは、

間違いなく1K。

洋室は一つ。

壁の向こうは隣の住戸だった。

先輩にも聞いた。

「この部屋、前に何かありました?」

「何かって?」

「間取りが変わったとか」

「ないよ」

事故物件でもない。

過去の入居履歴にも、

特に変わった記録はなかった。

私は内見中の出来事については話さなかった。

疲れていた。

客が何かを見間違えただけ。

そう思うことにした。

その日の業務を終え、

パソコンを閉じようとしたときだった。

何となく、

もう一度その物件を検索した。

物件管理システムを開く。

部屋番号を入力。

画面が表示された。

私は手を止めた。

間取り:1LDK

朝は、

1Kだった。

図面を開いた。

洋室の奥。

客がドアを見たと言っていた場所に、

新しい部屋が追加されていた。

約4畳。

窓なし。

収納なし。

そして、

その部屋だけ灰色で塗られている。

中央に小さく文字があった。

入居中

意味が分からなかった。

このシステムで、

一つの部屋だけに「入居中」などと表示する機能はない。

画面を更新した。

変わらない。

私は入居者情報を開いた。

氏名。

年齢。

勤務先。

そこに表示されていたのは、

私の名前だった。

年齢も31歳。

勤務先も、

今いる会社。

すべて一致していた。

翌朝。

出社すると、

私はすぐに物件管理システムを確認した。

間取りは、

1Kに戻っていた。

入居者情報にも、

私の名前はない。

昨日見た画面を同僚に確認してもらおうとしたが、

履歴にも残っていなかった。

少し安心した。

やはり、

何かの表示エラーだった。

そう思った。

ただ、

一つだけ変わっていた。

物件の状態が、

成約済み

になっていた。

契約者名は空欄。

契約日は昨日。

担当者の欄には、

私の名前が入っていた。

私は契約処理などしていない。

管理担当に確認し、

データを修正してもらった。

その日の夕方。

例の夫婦から会社に電話があった。

電話を取ったのは私だった。

「先日はありがとうございました」

妻の声だった。

「いえ、こちらこそ」

「別の物件に決めましたので」

「承知しました」

そこで終わると思った。

だが、

妻は続けた。

「あの」

声が少し小さくなった。

「昨日の部屋なんですけど」

嫌な予感がした。

「はい」

「最後に、担当者さんは一緒に車まで戻りましたよね?」

「はい」

「ですよね」

妻が安心したように言った。

そして、

「じゃあ、窓から見てた人は誰だったんでしょう」

私は答えられなかった。

「車に乗るとき、主人が気づいたんです」

「2階の窓から、誰かがこっちを見てました」

「昨日案内してくれた――」

少し沈黙してから、

妻が言った。

「あなたと同じ顔の人でした」

その日から、

私はあの物件を担当から外してもらった。

理由は体調不良ということにした。

物件にも近づかなかった。

数日経つと、

少しずつ気にならなくなった。

仕事も普通に続けた。

問題が起きたのは、

それから9日後だった。

仕事を終えて、

自宅へ帰った。

私は一人暮らしで、

自宅も1Kだ。

玄関。

短い廊下。

キッチン。

その先に洋室。

いつも通りだった。

スーツを脱ぎ、

シャワーを浴びた。

夕食を済ませ、

ベッドでスマートフォンを見ていた。

23時46分。

トイレへ行こうと立ち上がった。

そのとき、

気づいた。

部屋の奥。

テレビの横。

今まで壁しかなかった場所に、

ドアがあった。

白いドア。

銀色のノブ。

私は動けなかった。

位置も、

大きさも、

あの夫婦が指していた場所と同じだった。

近づかなかった。

触らなかった。

その日は、

玄関から外へ出た。

近くのビジネスホテルに泊まった。

翌朝。

会社へ行く前に、

同僚一人に事情を話した。

怪異の話はしなかった。

「家の壁に、知らないドアがある」

それだけ伝えた。

同僚は笑った。

当然だと思う。

それでも頼み込み、

一緒に自宅へ来てもらった。

玄関を開ける。

洋室へ入る。

ドアは、

まだあった。

「ほら」

私は指した。

同僚は黙っていた。

「見えるだろ?」

返事がない。

「ドア」

そう言うと、

同僚が私を見た。

「何言ってんの?」

背中が冷たくなった。

「そこ」

「壁じゃん」

あのときと逆だった。

今度は、

私にしかドアが見えていなかった。

同僚には帰ってもらった。

私は一人で部屋に残った。

ドアの前に立った。

白いドア。

銀色のノブ。

確かに見える。

手を伸ばした。

ノブに触れた。

冷たかった。

幻ではない。

少し力を入れる。

回った。

私は手を離した。

開けなかった。

そのまま荷物をまとめ、

実家へ戻った。

会社にも長期休暇を申請した。

自宅には戻っていない。

これで終わったと思っていた。

3日後。

スマートフォンに、

不動産情報サイトから通知が届いた。

普段から仕事で確認しているサイトだった。

「あなたへのおすすめ物件があります」

何気なく開いた。

表示された物件を見て、

息が止まった。

私の自宅だった。

建物名。

住所。

階数。

部屋番号。

すべて同じ。

自分が借りている部屋が、

賃貸物件として掲載されている。

管理会社へ電話した。

「その部屋は現在入居中です」

そう言われた。

当然だ。

私が借りている。

だが、

サイトには、

空室

と表示されていた。

さらに、

間取りが違っていた。

私の部屋は1K。

掲載されている間取りは、

1LDK。

洋室の奥に、

約4畳の部屋が追加されている。

窓なし。

収納なし。

あの部屋だった。

私は画面をスクロールした。

物件情報の下に、

内見予約のボタンがある。

その横に、

見慣れない表示があった。

現在1名が内見中です

私は実家にいる。

自宅には誰もいない。

その表示を見ているうちに、

数字が変わった。

現在2名が内見中です

数秒後。

スマートフォンに、

新しい通知が届いた。

内見が終了しました

続けて、

もう一件。

お申し込みが入りました

震える指で詳細を開いた。

申込者氏名。

そこには、

私の名前が表示されていた。

そして、

入居希望日。

本日。

その夜。

私は実家の自室から、

この記録を書き始めた。

自宅には戻っていない。

戻るつもりもない。

ただ、

さっき不動産情報サイトを確認した。

私の自宅は、

もう掲載されていなかった。

検索しても出てこない。

安心していいのかもしれない。

そう思った。

だが、

会社の物件管理システムを自宅のパソコンから確認すると、

一件だけ、

新しい物件が登録されていた。

見覚えのある住所だった。

今いる、

実家の住所。

間取りは、

4LDK。

実際の間取りと同じ。

ただし、

図面には一部屋多かった。

2階。

私が今いる部屋の隣。

本来なら、

そこには何もない。

図面では、

小さな部屋が追加されている。

約4畳。

窓なし。

収納なし。

その部屋には、

もう表示されていた。

入居中

入居者名は、

私ではなかった。

知らない名前でもなかった。

そこには、

こう書かれていた。

内見担当者

そして今。

この文章を書いている私の右側。

壁の向こうから、

音がしています。

コン、コン。

二回。

少し間を置いて、

また、

コン、コン。

誰かが、

壁の向こうからノックしています。

さっきまで、

そこには何もありませんでした。

でも今は、

壁に、

銀色のノブが見えています。

ノクヴェル保管記録

この記録がノクヴェルへ届いたのは、

午前1時12分でした。

投稿者から届いたメールには、

本文のほかに、

3枚の画像が添付されていました。

1枚目。

最初に内見した物件の間取り図。

1Kです。

2枚目。

投稿者の自宅の間取り図。

こちらも、

1Kです。

そして3枚目。

実家の間取り図。

4LDKです。

投稿者が本文に記していた、

「約4畳の部屋」は、

どの図面にもありません。

そのため、

記録を受け取った時点では、

本人に追加確認が必要だと判断しました。

翌朝。

投稿者へメールを送りました。

返信はありませんでした。

その日の夜。

添付された画像を、

もう一度確認しました。

3枚目の間取り図が、

変わっていました。

4LDKだった図面に、

小さな部屋が一つ増えていました。

2階。

投稿者の自室の隣。

約4畳。

窓なし。

収納なし。

その部屋の中央には、

小さく、

「内見可」

と書かれていました。

画像ファイルの更新日時は、

変わっていません。

現在、

投稿者とは連絡が取れていません。

なお、

この記録を公開するため、

ノクヴェルの管理画面へ本文を登録していた際、

一度だけ、

見覚えのない通知が表示されました。

「このページを内見している人がいます」

表示人数は、

1名。

数秒後、

2名。

そして、

この記事を保存した直後。

表示は、

3名

になりました

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