ボイスレコーダーを使ったことはありますか。
会議の記録。
思いついたアイデア。
忘れないためのメモ。
録音を終えるたび、画面には同じ通知が表示されます。
「録音を終了しました」
これは、その何気ない通知が二度と普通には見えなくなった、一つの記録です。
ノクヴェル・アーカイブ ― File.004 ―
私はボイスレコーダーをよく使っていた。
仕事のメモ。
買い物リスト。
思いついたこと。
忘れないように、すべて録音していた。
ある日の昼休み。
会社の休憩室で、翌日の仕事について30秒ほど録音した。

「明日は資料を提出。」
「帰りに駅前でクリーニング。」
それだけの内容だった。
その日の夜。
自宅で何気なく録音を聞き返していた。
自分の声が終わる。
そこで録音も終わるはずだった。

だが、
イヤホンから、
「……コツ。」
小さな足音が聞こえた。
自宅の玄関を歩くような音だった。
私は再生を止めた。
録音したのは会社の休憩室だ。
自宅ではない。
玄関の足音が録音されるはずがない。
その瞬間だった。
玄関の向こうから、
まったく同じ
「コツ。」
という音が聞こえた。
私は息を止めた。
翌日。
会社でもう一度録音した。
今度は無言で10秒。
昼休み。
周囲には同僚が数人いる。
録音を再生する。
何も入っていない。
安心した。
停止しようとした、その時。
最後の1秒だけ、
小さな声が聞こえた。
「もう一回。」
私は録音を確認した。
波形には何も表示されていない。
聞き間違いだと思った。
それから毎日、
録音の最後に何かが増え始めた。
足音。
ドアノブが回る音。
誰かの呼吸。
服が擦れる音。
どれも1秒にも満たない。
ノイズのような音だった。
しかし、
録音を重ねるたび、
音は少しずつ増えていった。
怖くなった私は、
ボイスレコーダーアプリを削除した。
録音データもすべて消した。
翌朝。
スマートフォンに通知が表示された。
録音が保存されました。
アプリは削除したはずだ。
保存先を探す。
録音データはどこにもない。
通知だけが残っていた。
その夜。
また通知が届いた。
録音が保存されました。
今度は通知を開いた。
画面には録音ファイルが1件だけ表示されていた。
再生時間。
00:00:08
私はイヤホンを耳に付けた。
再生する。
1秒。
無音。
2秒。
無音。
3秒。
無音。
4秒。
誰かが息を吸う音。
5秒。
私の声。
「後ろ見ないで。」
私は反射的に振り返った。
誰もいない。
安心した、その瞬間。
録音の続きを聞いた。
震えた私の声が、
小さく続いていた。
「だから……振り返るな。」
その直後。
イヤホンの中ではなく、
背中のすぐ後ろで、
誰かが息を吐いた。
私はスマートフォンを落とした。
画面が点灯する。
ホーム画面だった。
ボイスレコーダーは入っていない。
それでも、
画面の中央に通知だけが表示された。

録音を終了しました。
私は録音を始めてもいない。
画面に触れてもいない。
通知は数秒で消えた。
翌朝。
スマートフォンを確認すると、
削除したはずのボイスレコーダーが戻っていた。
録音は1件だけ。
ファイル名は空白。
再生時間は表示されない。
私は再生しなかった。
ノクヴェル保管記録
差出人:匿名
件名:録音を終了しました
本文
「最後の録音だけは、最後まで再生していません。」
この記録は、2026年8月に匿名でノクヴェルへ送付されたものです。
添付されていたスマートフォンには、ファイル名のない音声データが1件だけ保存されていました。
ファイルの作成日時・更新日時は取得できませんでしたが、システムログには一度だけ、
「録音を終了しました」
という通知が表示された履歴だけが残されていました。
差出人との連絡は、その後一度も取れていません。
